中学受験】日本の原始(旧石器・縄文・弥生)の歴史の流れを分かりやすく復習・確認テスト【高校受験

歴史を学習している中学受験生の方へ

例えば算数に比べると、歴史は興味を持って記憶すれば安定した点数を取りやすいです。算数や国語の調子が悪いときに、そのマイナスを埋められるように、ぜひ得点源にしてください

この記事では、東大卒講師歴25年の図解講師「そうちゃ」が大きく分けて「原始」時代にあたる「旧石器」「縄文」「弥生」3つの時代の流れと基本知識を説明します

記事を読んでテストを解けば、確実に基本知識を身につけられます。

歴史の点数を上げたい中学受験生・保護者の方へ

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はじめての方へ

歴史の学習法

低学年まで

まずは、ビジュアルなどで興味がある時代・分野から入って、具体的なイメージを頭の中に形作っていく。

ビジュアルが豊かなテキストや漫画が良いでしょう。

オススメ教材

ベストセラー歴史漫画!お子さんが小さいうちに全巻買って目のつくところに置いておけば「そのうち」手にとって読みますよ♪

小学校低学年までにインプットを始めておいて、受験することが決まったなら塾の授業が始まるまでに全時代の情報に目を通して、慣れ親しんでおくと安心です。

受験開始後

テキストを使って、順番に学習していきます。ここでも、有名な事物やエピソードなどで具体的なイメージを頭の中に作ります。

復習が大切

大切なのは、この「後」です。

予習や塾・学校の授業で歴史の具体的なイメージや細かい知識を学習しても、それだけでは使える知識にならない。

なぜなら歴史には順序と関連(=流れ)があるからです。

順序立てて知識を思い出せるように復習しないといけません。

本シリーズ「歴史の流れ(大区分)」を読んで学習すると、流れにしたがって思い出せます。

本シリーズの見方・使い方

段階的に流れに沿って思い出す

覚えようと思えばどこまでも細かく覚えられるが

基礎的な知識を忘れて、細かい知識を覚えると不都合がある

流れが分からなくなる

復習の際に、まず基礎的な知識で流れを思い出し、その流れを追いながら細かい知識を思い出して行く。

頭の中に知識の「棚」を作る

段階的に思い出していくうちに、頭の中で基礎的な知識の周りに細かい知識がくっついたカタマリが時代順に並ぶようになります。

これは、棚に整理された荷物を取り出して元に戻すのと同じで、再び取り出しやすい状態です。

これを「頭の中の棚」と表現します。

歴史のスケール「世紀」について

Lv0:原始時代のあらすじ

歴史用語を使わずにストーリーにすると

昔々、大陸が雪と氷に覆われていたころ、人間達は象のような大きな動物を狩って暮らしていました。中には獲物を追って大陸の端まで行った人たちもいました。

やがて暖かくなり陸の氷が溶けて海の水が増えると、大陸の端は海に沈んでいくつかの島になりました。取り残された人たちは小さな「村」を作り、木の実や小動物、魚、貝を食べて暮らしました。

しばらくして、大陸からお米が伝わると人が増え村は大きくなり、となり村との争いが起きました。強い村はまわりの村をどんどん征服して「国」になり、島の中にはいくつかの大きな国ができました。

イメージができましたか?

Lv1:原始時代の流れ

上のあらすじを歴史用語を使いながら、少しだけ詳しくすると、原始時代の「流れ」になります。

三時代の流れ

旧石器時代

数十万年前、人類がうまれた頃は気温が今よりずっと低い「氷河期」で、彼らはナウマンゾウやマンモスなどの大型の動物を追って移動し、打製石器を道具として使っていた。

氷河期に水分は雪や氷として陸地にあったので海の水は少なく海水面は今よりずっと低く、後で日本列島になる場所も大陸の東の端の一部だった。そして3万8千年前ごろ、人類の一部が獲物を追ってそこまでやってきて暮らし始めた。

縄文時代

1万6千年前ごろ、気候が暖かくなり陸の氷が溶けて海の水が増えると海水面が上がり、日本は大陸から切り離されて現在の日本列島になった。

列島に取り残された人たちは温かい環境で木の実や小動物、魚、貝を食べるようになり、定住して集落(ムラ)を作った。道具としては磨製石器や縄文土器を使った。

弥生時代

紀元前400年(今から2400年前)ごろ、大陸から海を渡って来た人々から水田稲作や金属器が伝えられると人口が増えムラは豊かになり、ムラの中でも身分や貧富の差が生まれた。

ムラが大きくなるとムラ同士の争いが起き、強いムラがまわりのムラを征服して大きなムラ=クニになり、さらに強いクニが弱いクニを征服して大きな国がいくつもできた。

なかでも、北九州にあった「奴国なこく」や卑弥呼を女王とする「邪馬台国やまたいこく」は大陸の中国王朝「かん」「」に使いを送るほど発展した。

– – – – – – – – – – – –
以上が3時代の流れです。

Lv1のテスト

上記流れの重要部分をテストします(そうちゃ式教材「流れ図学習セット」より抜粋)

旧石器きゅうせっき時代

約3万8000年前、地続きだった大陸からナウマンゾウなどを追って人間にんげんが日本に移り住んだ。

縄文じょうもん時代

約1万6000年前に氷河期ひょうがきが終わると氷が解けて海水面かいすいめんが上がり、日本列島れっとうが大陸から切り離された。人々は定住しムラができた。

弥生やよい時代

約2400年前、水田すいでん稲作いなさくが始まるとムラが合わさりクニになった。その中に九州の奴国なこく卑弥呼ひみこを女王とする邪馬台やまたいこくがあった。

Lv2:原始時代の基礎知識

さらに詳しく記述すると、入試にも対応できる基礎知識を習得できます。音読しながら太字の言葉を必ず覚えましょう。

原始時代の基礎知識

旧石器時代

氷河期=海水面が低い=日本列島が無かった

はるか昔(30万年前ごろ)、猿が私たち人間「ホモ・サピエンス」に進化した頃は気温が低い「氷河期」で、水分は雪や氷として陸地に蓄えられ海の水が少なくなっていたので、海水面が今よりずっと低かった。(なんと100メートル以上も!)

そのため、現在の日本列島も南北でユーラシア大陸と地続きで、日本海は巨大な湖になっていた。
(つまり、地図上にまだ日本列島は存在していなかったんですね!)

旧石器時代の暮らし・道具(打製石器)

この時代、人間はマンモスやナウマンゾウ、オオツノジカのような大きな動物を「狩猟」して食料、衣類や住居の材料としていた。

彼らは一箇所に定住せず獲物を追いかける移動生活を送っており、洞窟や簡単なテントを住処として利用していた。

また、石の端を打ち砕いて鋭い刃にした石器(打製石器)を道具として使用していた。

小型の打製石器を槍の先につけて動物を狩り、中型の石器で獲物の皮を剥いで肉を切り分け、大型の打製石器(斧)で木を切ったりした。

日本(になる場所)に人類がやってくる

3万8千年前ごろ、獲物を追って移動するうちに、ユーラシア大陸の東の端(つまり、日本です)まで来た者たちもいた。

日本人の一番古い先祖になる彼らは、将来日本列島となる場所で大型動物を狩猟し打製石器を使った生活を行った。

旧石器時代の遺跡

文字も無いこの時代の事が分かるのは、第二次世界大戦後に日本各地で遺跡が発見されたから。

群馬県の「岩宿」では、1946年に関東ローム層から黒曜石などで出来た打製石器が相沢忠洋によって発見された。
岩宿遺跡(地図)

長野県の野尻湖の湖底からは、1948年にナウマンゾウやオオツノジカの化石が見つかった。
野尻湖遺跡(地図)

静岡県の「浜北遺跡」では、なんとトラの化石が見つかった。(日本(になる場所)にトラがいたんですね!)

旧石器時代についてもっと詳しく知りたい人は関連記事「旧石器時代」を見て下さい。

縄文時代

日本列島が出来る

1万6千年前ごろ、気候が暖かくなると陸の氷が溶けて海水面が上がり、日本はユーラシア大陸から切り離されて現在の日本列島の形になった。
(「日本」はここから始まった!)

定住して集落=ムラが出来る

暖かくなると大型動物はいなくなったので日本列島に取り残された人たちは小さな動物や魚や貝を獲るようになった。また、植物が豊かに育つようになったので野生の実をとったり、栽培して食べるようになった。(ドングリ等の実をすりつぶして焼いたクッキーのような食べ物が見つかっている)

やがて狩猟と栽培に適した場所に定住するようになり、人が集まって暮らす集落=ムラができた。彼らは地面に穴を掘って作った住居=竪穴式住居に住み、巨大なムラも作られた。

青森県の三内丸山遺跡では 巨大な柱を立てる穴が見つかっていて、三階建ての建物と巨大な住居があり数百人が暮らしていたと考えられている。
(地図)

縄文時代の暮らし

狩りや加工の道具として石を磨いて作った石器=磨製石器を用い、食べ物の調理や保存に縄目文様のついた土器=縄文土器を使った。

また子孫の反映や豊作・豊漁を祈って土で出来た人形=土偶を作った。

食べ物の残りを捨てた跡は「貝塚」
縄文時代の始めは今よりももっと海水面が上だったので、現在内陸になっている場所でも多く発見される

明治時代の外国人モースが発見した大森貝塚(東京都)が有名。

縄文時代についてもっと詳しく知りたい人は関連記事「縄文時代」を見て下さい。

弥生時代

水田稲作が社会を変える

紀元前400年(今から2400年前)ごろ、大陸(中国や朝鮮半島)から渡ってきた人々により水田稲作や金属器(青銅器・鉄器)が北九州に伝えられた。
(縄文人からするとスーパーテクノロジーです)

稲作は生産性が高いので食べる以上の余りが出て、それらは保管するようになった。人口が増えムラは豊かになったが、次第にムラの中でも身分と貧富の差が生まれ始めた。(「稲作を指揮する人と従う人達」という一時的な区別がやがて「ムラの運営を命令する親子と従う人たち」という固定的な関係に変わっていくんですね…)

ムラからクニへ

ムラが大きくなると縄張りや水田の水源をめぐってムラ同士の争いが起きるようになり、周りに防御のための濠をめぐらしたムラ=環濠集落も現れた。
(ついに人間は「戦争」をするようになってしまいました…)

吉野ケ里遺跡(佐賀県)では環濠と物見やぐらの跡が見つかっている。

やがて、強いムラがまわりのムラを征服して大きなムラ=クニになり、さらに強いクニがまわりのクニを征服して、各地方(九州、山陰、山陽、近畿)ごとに大きな国ができた。クニの中では王と奴隷のような大きな身分の差があった。

弥生時代の大国

北九州にあった「奴国なこく」は、周辺の国に対して優位に立つために紀元57年に中国の「後漢ごかん」王朝に使いを送り、「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」という金の印鑑=金印をもらった。これは後漢の歴史書「後漢書東夷伝ごかんじょ とういでん」に記してある。
(金印は、はるか後の江戸時代に博多湾の志賀島しかのしまで石の下から発見されました!)。

また卑弥呼を女王とする「邪馬台国やまたいこく」も、紀元239年に中国の「」王朝に使いを送り、「親魏倭王」という金印(未発見)や鏡をもらった。これは魏の歴史書「魏志倭人伝ぎしわじんでん」に記してある)
(こちらの金印は見つかっていません。また邪馬台国の場所は不明で、九州地方か奈良盆地にあったと考えられています。)

弥生時代の生活と道具

この時代の人々は主に稲作で生活した。育った稲を石包丁(磨製石器の一種)で収穫し、湿気を防ぐために高い位置に床がある倉庫=高床式たかゆかしき倉庫に保管した。

登呂遺跡(静岡県)や板付遺跡(福岡県)では水田の跡が見つかっている。

食べ物の調理や保管には、縄文時代よりも薄く固い土器=弥生式土器が使われた。

大陸から伝わった金属器のうち、青銅器の銅剣・銅ほこ・銅たくは儀式に、鉄器は武器・農具・工具など実用に用いられた。

弥生時代についてもっと詳しく知りたい人は関連記事「弥生時代」を見て下さい。

Lv2(-)のテスト15問

そうちゃ式「流れ図学習セット」より抜粋。基礎知識を言えるか、テストしてみましょう

旧石器時代

旧石器時代の人々が食べ物を得ていた方法は狩猟や採集

旧石器時代の(打製)石器が見つかった群馬県の遺跡は岩宿いわじゅく遺跡

旧石器時代のナウマンゾウの骨が見つかった長野県の遺跡は野尻湖のじりこ遺跡

縄文時代

この時代の人々が食料の調理や保存使った道具は縄文土器

明治時代にモースが東京で発見した縄文時代の遺跡は大森貝塚

縄文時代の終わりごろには大陸から伝わった作物は米(稲)

縄文時代の大規模な集落と高い建物の跡がある青森県の遺跡は三内丸山さんないまるやま遺跡

弥生時代

中国(王朝名:後漢)に使いを送り金印を受け取った九州の国は奴国なこく

奴国が中国(後漢)から受け取った金印に記してあった文字は漢委奴国王で読み方はかんのわのなのこくおう

弥生時代に有名な女王がいた国は邪馬台国

邪馬台国を治めていた女王は卑弥呼ひみこ

卑弥呼が中国に使いを送り金印を受け取ったことが書いてある中国の歴史書は魏志倭人伝ぎしわじんでん

弥生時代の水田跡が見つかった福岡県の遺跡は板付いたづけ遺跡

弥生時代の水田跡が見つかった静岡県の遺跡は登呂とろ遺跡

物見櫓や環濠のある弥生時代の大集落の跡が見つかったのは佐賀県の吉野ケ里よしのがり遺跡

書いて練習したい人は「そうちゃ式 流れ図」をご利用下さい。

Lv2(+)のテスト31問

増強した知識のテスト。そうちゃ式「流れ図学習セット」より抜粋。重要語句を言えるか、テストしてみましょう

旧石器時代

旧石器時代の人々が食べ物を得ていた方法は狩猟採集

旧石器時代の人々が狩っていたのはオオツノジカ・マンモスやナウマンゾウ

旧石器時代のナウマンゾウの骨が見つかった長野県の遺跡は野尻湖のじりこ遺跡

旧石器時代の人々が使っていたのは打製石器(図1)

旧石器時代の打製石器が見つかった群馬県の遺跡は岩宿いわじゅく遺跡

縄文時代

この時代の人々が食料の調理や保存に使った道具は縄文土器

この時代の人々が道具として使ったのは磨製石器

この時代の人々が魔除けや豊作を祈るために用いた人形(図2)は土偶

この時代の人々が住んだ住居(図3)は竪穴住居

縄文時代に海岸のそばに住む人々がゴミを捨てた跡(図4)は貝塚

明治時代にモースが東京で発見した縄文時代の遺跡は大森貝塚

縄文時代の終わりごろには大陸から伝わった作物は米(稲)

縄文時代の大規模な集落と高い建物の跡がある青森県の遺跡は三内丸山さんないまるやま遺跡

貨幣の無い時代の人々が品物を手に入れた方法は物々交換

弥生時代

中国(王朝名:後漢)に使いを送り金印を受け取った九州の国は奴国なこく

弥生時代の外国からの日本の呼び名は

奴国が中国(後漢)から受け取った金印に記してあった文字は漢委奴国王で読み方はかんのわのなのこくおう

奴国の金印が江戸時代に発見された島は志賀

弥生時代に有名な女王がいた国は邪馬台国。女王は卑弥呼ひみこ

卑弥呼が239年に中国に使いを送ったことが書いてある中国の歴史書は魏志倭人伝ぎしわじんでん

水田稲作が広まった時代に食料の調理・保存に使われたのは弥生土器

弥生時代に使われた金属器は青銅器(儀礼用)と鉄器(実用)

大きな鈴のような形をした青銅器は銅鐸

弥生時代に広がった稲の育て方は水田稲作

稲穂を摘み取るのに使った道具は石包丁

弥生時代の水田跡が見つかった福岡県の遺跡は板付いたづけ遺跡

弥生時代の水田跡が見つかった静岡県の遺跡は登呂とろ遺跡

弥生時代に米を保管したのは高床たかゆか倉庫

防御のために周囲に濠をめぐらせた弥生時代の集落は環濠かんごう集落

物見櫓や濠のある弥生時代の大集落の跡が見つかったのは佐賀県の吉野ケ里よしのがり遺跡

三時代の変化

を表にまとめました。空欄を言えるようにしましょ

時代 気候 海水面 食料 住居 石器 金属器 土器
旧石器 寒い 低い
(大陸と地続き)
大型動物
の狩猟
移動生活
(洞窟やテント)
打製
石器
(無し)
縄文 温かい 高い
(日本列島ができる)

現在と同じ
中小動物の
狩猟と採集
定住生活
(竪穴住居)
磨製
石器
(無し) 縄文
土器
弥生 稲作 青銅器
鉄器
弥生
土器

書いて練習したい人は「そうちゃ式 流れ図」をご利用下さい。

次回は

古代1(古墳時代・飛鳥時代)です。

日本各地に大きなクニができましたが、これらはどうなるのか?!予想してからリンクをクリック

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