説明文と論説文の違いは「意見の有無」では無い。家庭で国語力アップ(6)

◇文章読解

「説明文と論説文って何が違うの?」「説明文や論説文をスッキリと理解したい」という人へ。この記事は「説明文と論説文の違い」を明らかにすることで「説明的文章の構造」を示し、読み方のコツを提案します。記事を読み終えた頃にはあなたの頭の中に説明的文章の中身を整理する「棚」ができていることでしょう!

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説明文と論説文の区別は?

こんにちは!図解講師の爽茶そうちゃです。

今回から4回に渡って説明的文章の構造についてお話しします。20年の講師生活で「落ちこぼれ寸前」から「開成」「東大」の受験生まで多くの生徒を指導した経験から、これを理解・記憶して読解の枠組みとして使えば非常にクリアな読解が可能になるとオススメできます。

今回は説明的文章の構造、特徴を明らかにするために「説明文と論説文の違いは何か?」についてお話します。

よくある区別の方法

説明文と論説文の違いとしてよく言われるのは「事実(客観)だけが書いてあるのが説明文」「筆者の意見(主観)も書いてあるのが論説文」ということです。

しかし本当にこの「意見の有無」という基準でクリアに分類できるでしょうか?考えてみましょう

いい○○作ろう鎌倉幕府!

その前にちょっと気分転換です…
( ^ ^) _旦~~

社会の歴史の知識です。鎌倉幕府が成立した年を覚えていますか?

有名な「イイクニ作ろう鎌倉幕府」というゴロ合わせで1192年だと教わりませんでしたか?(私はそう教わりました)

それが何と今では!「イイハコ作ろう鎌倉幕府」で1185年らしいですよ。
(ちなみに、1185年は頼朝が平氏を壇ノ浦で滅ぼして全国に守護・地頭の設置を許可された年で、1192年は頼朝が征夷大将軍に任命された年)

自分が教わった知識が今になって「それ違う」と言われるのは軽くショックですよね?

それでは、昔は「嘘」を教えられていたのでしょうか?そんなはず無いですよね
(^_^;)

どうして教科書が変わるの?

もともと実際の歴史上で「本日、鎌倉幕府オープンです!」なんていう告知はありませんでした。
(それどころか、当時は「幕府」という言葉すらありませんでした。)

ですから「守護・地頭の設置が1185年」「征夷大将軍に任命されたのが1192年」これらが「事実」であるのに対し、

「幕府の成立年=1192年」というのは専門家による「解釈」「意見」にすぎなかったのですね。

そして幕府の成立年については、昔からいくつかの「解釈」「意見」があり、どれが正しいのか論争があったのです。

戦後教科書が作られた当時は一番優勢だった考え方が「1192年説」だったので教科書もそれに従っていただけなのです。

教科書に採用された「1192説」は語呂合わせとして国民に浸透して「通説」になり他の説は「少数説」となりましたが、

時間が経つと1185説の方が優勢になってきて教科書に1185説と1192説の両論併記になり

最近になって1185説の方が優勢な「多数説」になったというわけです。

実際に区別してみよう

どうしようもない違和感…

さて、説明文と論説文の違いに話を戻して問題です。

次の文は説明文と論説文どちらになるでしょうか?
X1「源頼朝は平治の乱の後に伊豆へ流されたが20年後に関東の武士を率いて平氏を滅ぼし、1192年には征夷大将軍になり鎌倉に幕府を開いた。」

よくある考え方「事実(客観)だけが書いてあるのが説明文で筆者の意見(主観)も書いてあるのが論説文」からすると

先程述べたように「鎌倉幕府=1192年」というのは「意見」ですから、これは論説文ということになりますね…

1192のところを1185に変えてX2「源頼朝は平治の乱の後に伊豆へ流されたが20年後に関東の武士を率いて平氏を滅ぼし、1185年には全国に守護地頭を設置して鎌倉幕府を開いた。」としても、「意見」ですから論説文ということになります。

しかし…さっきの2つの文は「説明文」と言われたほうがしっくり来ませんか?
??( ³ω³ )??

そもそも私達の身の回りにある文章はほとんどが「解釈」または「意見」です。

純粋な「記録」「報道」にも「解釈」や「意見」が混じっています。

そう考えると、冒頭の「事実→説明文」「意見→論説文」という基準は
上手く機能しないように思えます。

見本を比較して見る

では、どういう基準が良いでしょうか?

まずは、「論説文」に見える文を用意しました。

Y「従来、鎌倉幕府の成立は源頼朝が将軍に任命された1192年とされてきたが、朝廷とは別個の全国支配権が認められた1185年には成立していたとすべきである。」

この文は、短いながらも「論説」文っぽい気がしませんか?

それでは、説明文っぽいX2「源頼朝は平治の乱の後に伊豆へ流されたが20年後に関東の武士を率いて平氏を滅ぼし、1185年には全国に守護地頭を設置して鎌倉幕府を開いた。」と

論説文っぽいY「従来、鎌倉幕府の成立は頼朝が将軍に任命された1192年とされてきたが、朝廷とは別個の全国支配権が認められた1185年には成立していたとすべきである。」の違いはどこにあるでしょうか?

この2つの文の「構造上の」違い、それが説明文と論説文の違いだと私は考えます。

結局、区別の基準は

○○構造の明示

前振りとして鎌倉幕府の話をしたのでもう、お気づきの方も多いと思います。

説明文ぽいXは作者の意見である「1192年説」しか書いていないのに対して、論説文ぽいYは作者の意見である「1185年説」だけでなく、自分が反対する意見である「1192年説」も引用しています。

Xを読んでいると、まるでこの世の中には「1192年説」しか存在しないような錯覚に陥ります。ある意味平穏な落ち着ける世界。

それに対してYは「1192説」「1185説」が対立していることを敢えて示した上で、私の「1185説」の方がいいでしょ?と読者を説得しているような印象を受けますね。ある意味争いのある熱い世界。

この違いが説明文と論説文の違いになります。

つまり、Yのように意見の対立を前提に、文中に意見の対立構造を示し

自分の意見の正しさを読者に訴えるのが論説文。

Xのように意見の対立を示さずに自分の意見を伝えるのが説明文

このように理解するとスッキリしませんか?

もちろん言葉表現は繊細ですので、区別はどうしても曖昧になります。

例えば、こういう場合…

X「鎌倉幕府は源頼朝が関東の武士を率いて平氏を滅ぼし、1185年に全国に守護地頭を設置して成立した。」
Y「鎌倉幕府は源頼朝が関東の武士を率いて平氏を滅ぼし、1185年に全国に守護地頭を設置した時に実質的に成立した。」

Xが説明文ぽいのは変わりません。そして今度は、Yにも「1192」は全く出てきませんね。

ですので、パッと見では両方共、自分の意見だけを述べた文=説明文に見えます。

しかしYをよく見ると、「『実質的に』成立」と書いてありますね。これに気づいて「実質↔形式」という対義語を思い出せれば…

「ふ~ん。なるほど「形式的な」成立が1185年の前か後にあるという意見がありうるな。『実質説』と『形式説』が対立しているのかな」と、背後にある意見の対立構造を読み取ることが出来ますね。

したがってYは「隠れ論説文」とでも言えるでしょうか。

まあ…正直言って「説明文か論説文か」という判断自体には意味が無いと思いますが
(^_^;)

こうして比較することで、説明的文章の特徴のひとつである
意見の対立構造の明示」を理解してもらえたと思います。

授業と討論会

もう少しイメージを重ねてみると…

論説文は討論会のイメージ
「本の作者(Aさん)が反対意見の論者(Bさん)と討論をしているのを、読者は作者の側から見学している」

それに対して説明文の方は授業のようなイメージ
「先生が黒板の前で淡々と説明しているのを、読者は生徒として聞いている」

どうでしょう、なんとなく分かっていただけたでしょうか?

よくある意見は…実は

今回は、説明的文章には意見の対立がある(隠れている)というお話しでした。

これが説明的文章の構造の1つで、私の授業では「A↔B」(らーじえーびー)または「大きな対比」「対立」と読んでいます。

ちなみに、最初に紹介した分類法「事実のみが説明文、意見があるのが論説文」ですが…この分類は随筆文の構造分析との混同が感じられます。

随筆文は、筆者自身が体験した(そういう意味では余り疑いようのない)「事実」と事実に対する「意見」から出来ていて、「事実」と「意見」を区別するのが読み取りのポイントです。

随筆文の読解法についても書きたいですが、1年後くらいになりそうですね…
(^_^;)

次回は、(7)説明文の構造(1)です。

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追記(ひとりごと)

この記事のイラストは、ホワイトボードに描いたのをスマホで撮影してペイントソフトで修正しているのですが、

時間がかかって色塗りまでいけない…

iPadとapple pencilの組み合わせなら、もう少し早く色塗りまでいけそうな気がする!

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